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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)4785号 判決

原告 天野半七

被告 住友信託銀行株式会社

主文

被告は原告に対し金五十万円及びこれに対する昭和二十五年三月十一日以降右完済に至るまで百円につき一日六厘の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は、原告において金七万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人等は、主文第一、二項同旨の判決並びに仮執行の宣言を求めると申立て、その請求の原因として、被告銀行は本店を肩書地に、支店を東京都千代田区丸の内一丁目二番地の二に有するものであるが、原告は昭和二十五年三月十一日被告銀行(当時の商号は富士信託銀行株式会社と称したが、昭和二十七年六月一日現在の商号に変更された。)東京支店に対し、中川富美という仮名を用いて金五十万円を七日据置、払出二日前通知すること、利息は日歩六厘の約束で「通知預金」をした。そもそも原告が本件の預金をなすに至つたゆえんは、原告はかねて知合の訴外中川暉敏こと中川音松から金融を求められたがこれを拒絶したところ被告銀行東京支店では預金を世話した者に対し手形割引の便宜を与えるということであるから、金融ができなければ同支店に預金をしてもらいたいと墾請された。そこで原告はこれを承諾し、初め原告の二女天野富美名義で預金する考であつたが、訴外中川音松の依頼によることでもあり、かつ、税金等の考慮もあつて「中川富美」という仮名を用いたが、右名義人の住所には原告自身の住所を記入し、印鑑は原告自用の印鑑を押捺して届出で、又印鑑届に要請されている筆跡には原告自ら「中川富美」と手筆して本件預金をしたものである。従つて本件預金債権は「中川富美」名義を以てした原告の預金債権である。よつて原告は被告に対し右預金五十万円並びにこれに対する昭和二十五年三月十一日以降本件訴状が被告に送達された日から二日目の日である昭和二十八年七月五日まで日歩六厘の割合による利息及び同月六日以降右完済に至るまで右利息と同率の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及ぶと述べ、被告主張の抗弁に対し、被告が訴外中川音松から印章紛失届その他被告主張のような書類を提出させたこと、被告が名義人中川富恵親権者中川音松同中川きみの通知預金五十万円を預つている旨の預金現在証明書を発行したこと、その後被告主張の日中川富恵の親権者中川音松中川きみに払戻す形式によつて預金全額を訴外中川音松の債務弁済に充当したものであることは認めるが、その余の事実は否認する。本件預金は右のように原告の預金であるに拘らず、訴外中川音松は自己の手形割引を被告銀行東京支店に依頼するに当り、ほしいままに右預金は妻の預金であると称したため、被告銀行東京支店はこれを担保に差入れることを要求し、同人が妻の承認を得難いから担保に差入れることができないと拒絶するや、他に正当な預金証書及び届出印鑑の存在することを知悉しながら、妻の預金であれば後にいかようにでも諒解がつくと思われるから、印章紛失届を提出して証書の再交付を受け担保に差入れるように示唆して訴外中川音松をして自己の手形割引のため本件預金を担保に供する考を起こさせ、かかる経緯を経てその後「中川富美」は同人の娘「中川富恵」の愛称であつて同一人であり、本件預金は中川富恵の愛称中川富美名義をもつてしたものであるとその申立を変更し、印章紛失届その他の書類を提出したのに対し、もともとかかる申立が被告銀行東京支店に預金証書を担保に差入れることに関連してなされたものであるから、本件預金が訴外中川音松においてその娘中川富美名義でしたものであるか否かは原告届出にかかる印鑑届の中川富美という筆跡と同人の筆跡とが同一であるか否かの鑑定を行えばたやすく判明するにも拘らず敢てかかる確認の方法をとらず、また「中川富美」が果して同人の娘中川富恵の愛称であつて同一人であるか否かについては単に港区役所三田出張所の奥書ある一民生委員の証明書のような証明力薄弱なものを徴してそのつぢつまを合わせたにすぎないのであつて、これにより訴外中川音松同中川きみが本件預金債権の準占有者と称し得ないことは明白であり、また仮に準占有者と認められるにしてもその弁済について悪意又は重大な過失がある。従つて同人等に対してなされた預金の払戻により原告の預金債権が消滅するいわれはないと述べた。〈立証省略〉

被告銀行訴訟代理人等は、原告の請求を棄却するとの判決を求め答弁として、原告主張事実中原告主張の日被告銀行(当時の商号は富士信託銀行株式会社と称したが、昭和二十七年六月一日現在の商号に変更された。)東京支店が中川富美の名義で金五十万円を原告主張のような約旨で「通知預金」を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。右通知預金の預金債権者は原告ではなく名義人の中川富美である。しかして中川富美は訴外中川暉敏こと中川音松の娘中川富恵の愛称であつて同一人であり、訴外中川音松は本件通知預金に相当する金員を原告から借受けて娘中川富恵のためその親権者として右預金をしたものである。このことは、訴外中川音松の原告よりの借入金に関する帳簿(乙第十三号証)に同人が原告から昭和二十五年三月富士信託通知預金用として金五十万円を借入れたことが記載されており、また原告が本件預金が訴外中川音松に払戻されたことを知りながら二年六月以上の間被告銀行に対し何等の申入もしなかつたこと等の事情に徴しても明白なことである。しかして被告銀行が右中川富美を訴外中川音松の娘中川富恵と同一人であると確認するに至つた事情は次の通りである。即ち、昭和二十五年三月中旬訴外中川音松は被告銀行東京支店に対し手形の割引を依頼したので、担保を求めたところ、娘名義の通知預金五十万円の存することを言明し、これを担保に差入れたいが預金証書及び届出印鑑を紛失したというので、再度発行の可能であることを説明したそこで同人は同年三月十八日預金証書の再発行を求めるといつて印章紛失届に戸籍謄本、印鑑証明書及び中川暉敏が中川音松の通称であることを証する書面を添えて提出した。ところが右戸籍謄本によれば同人の娘中川富恵は本件の預金名義人中川富美とその名を異にするので被告銀行東京支店においてこれを指摘したところ、富美は富恵の通称であると説明し、同月二十日中川富美は中川富恵の通称であつて同一人であることを証する証明書、寄留簿記載事項証明書及び通知預金証書再交付依頼書を提出したので、被告銀行東京支店においては通知預金の名義人中川富美は実名中川富恵の通称であつて、その親権者は中川音松及び中川きみであることを確認し、更に名義人を訂正願う旨の通知書及び新たな印鑑についての印鑑届に改印届の提出を受けた上名義人中川富恵、親権者中川音松、同中川きみの通知預金五十万円を預つている旨の現在証明書を発行したのである。しかして右預金債権はその後同年六月十四日中川富恵の親権者中川音松、同中川きみに払戻す形式によつてその全額を訴外中川音松の被告銀行に対する債務弁済に充当し、これによつて本件預金債権は消滅したものであると述べ、抗弁として、仮に本件預金債権者が原告であるとしても、以上のような手続を経て慎重に調査した上預金名義人中川富美が訴外中川音松の三女中川富恵と同一人であり、訴外中川音松及び同中川きみがその親権者として娘中川富美のため預金したものであると認めたのであるから、中川富恵の親権者訴外音松及び中川きみは尠くとも本件預金債権の準占有者である。しかして被告銀行はこれに対し前記の事情により明かなように善意で弁済したのであるから、本件預金債権は消滅したと述べた。〈立証省略〉

理由

昭和二十五年三月十一日被告銀行(当時の商号は富士信託銀行株式会社と称したが、昭和二十七年六月一日から現在の商号に変更された。)東京支店が中川富美という名義で金五十万円を七日間据置払戻二日前に通知すること、利息は日歩六厘の約束で「通知預金」を受けたことは当事者間に争がない。しかして、成立に争のない甲第一号証、同第三号証及び乙第一号証(但し、成立に争のない部分)証人中川暉敏こと中川音松、同右田良太郎の各証言、原告本人尋問の結果各一部、同本人尋問の結果によつてその成立を認めうる甲第二号証、証人右田良太郎の証言によつてその成立を認めうる乙第十六号証並びに甲第三号証の本件「通知預金」証書及び乙第一号証の届出印鑑がいづれも原告の手裡に存在することを綜合すれば、原告は昭和二十五年三月初頃訴外中川音松から金借の申入を受けたが以前の貸付金員の返済が滞りがちであつたので拒絶したところ。被告銀行東京支店で手形の割引を受けたいが、同支店に中川という名義の預金があれば同支店の信用で得られ手形の割引を受けられるから原告において同支店に中川名義で預金してもらいたいと懇請したので、原告はこれを承諾し、同月十一日自ら同支店に出向き、自己の二女の名「富美」に「中川」という姓を冠して「中川富美」という仮空人の名義で金五十万円を「通知預金」したこと及びその際印鑑届の住所として原告の住所を記載し、印鑑は自用の印を押捺し、又筆跡欄には原告自ら「中川富美」と手書して届出で預金証書の交付を受けたことを認めることができる。もつとも乙第十三号証には被告銀行主張のように訴外中川音松が本件預金のされた昭和二十五年三月原告から被告銀行通知預金用として金五十万円を借入れた旨の記載があるが、証人中川音松の証言によれば、同号証作成の基礎となつた同人の帳簿上の右に照応する記載は、同人が被告銀行に対し原告の本件預金を原告に無断で自己の手形割引の担保に供したところ、同人において右手形を落すことができず、本件預金を同人の手形債務の弁済に充当されるに至り、原告に損害を被らしめたため、その弁済の必要上からその後になつてこれを自己の原告に対する借入金として帳簿上処理したにすぎないものであることが明かであるから、同号証の右の記載を以て前記認定の反証となすに由ないことは勿論である。その他被告銀行提出援用の全立証によるも前記認定を左右するに足りない。然らば右通知預金は原告が「中川富美」という仮空人の名義で被告銀行となした預金契約に基くものであつて右預金債権者は原告であるといわなければならない。

よつて被告銀行主張の抗弁について審究するに、被告銀行東京支店が訴外中川音松に印章紛失届その他被告銀行主張の書類を提出させたこと、これに基いて被告銀行東京支店が名義人中川富恵、親権者中川音松、同中川きみの「通知預金」五十万円を預つている旨の預金現在証明書を発行したこと及びその後被告銀行主張の日に中川富恵の親権者中川音松、同中川きみに右預金を払戻す形式でその全額につき訴外中川音松の被告銀行に対する債務弁済に充当したことは当事者間に争がないが前顕乙第一号証、成立に争のない同第十二号証、証人中川暉敏こと中川音松の証言、同証言によつてその成立を認めうる乙第六、第八号証及び証人久保田正一の証言の一部を綜合すれば、原告が右預金をした後訴外中川音松が被告銀行東京支店貸付係訴外久保田正一に対し、自己の家族中川富美の名義で通知預金五十万円がある旨告げ、手形の割引を求めたところ、これを担保に供することを要求された。しかしながら右預金は固より原告の預金であつてその処分権を与えられたものではないから、同人は右預金は妻の預金であつて預金証書及び届出印鑑を妻から入手することが困難であると弁解して、担保を供しないで手形の割引を受けようとしたが、訴外久保田正一は妻の預金であれば何とでもなることであるから、印章を紛失したことにして預金証書の再交付を受けこれを担保に供することも可能であり、将来手形が落ちれば担保は当然解除となるから妻に迷惑をかけることはないと言つて預金証書及び届出印鑑が現存するにも拘らず担保提供の方法として印鑑紛失届の手続によつて預金証書再交付手続をとることを示唆し、訴外中川音松を同支店預金課長代理に紹介して訴外中川音松のために預金証書及び印章紛失による預金現在証明書の発行方を依頼してやつたこと、その結果訴外中川音松、自己に預金名義人中川富美に類似した名の中川富恵という三女があるところから、同支店預金課係員に対し、右預金は妻の預金であるが娘名義でしたものである旨を告げ昭和二十五年三月十八日中川富恵の親権者中川音松、同中川きみ名義の印鑑紛失届その他の書類を提出したこと、訴外中川音松は訴外久保田正一によつて紹介されるまでは預金課係員に全然面識がなくまた原告の右預金の申込が直接同係員をして訴外中川音松という特定人が中川富美という名義で預金するものであると誤信させるような事情には全然なかつたこと、同係員においては右中川富美名義の預金が中川富恵の親権者中川音松においてしたものであるか否かは乙第一号証の印鑑届が手許に存在するから同届の筆跡欄の「中川富美」という筆跡と訴外中川音松の筆跡とが同一であるか否かを鑑定すればたやすく真偽の程を看破しうるに拘らずこれをしなかつたこと、同届の「中川富美」の肩書住所が訴外中川音松の現住所と同一であるか否かは係員を派して調査すれば直ちに判明するにも拘らずこれをしなかつたこと及び預金名義人「中川富美」が訴外中川音松の三女「中川富恵」の通称であつて同一人であるか否かについて、係員を現地に派して調査する等確認の方法を執らず、単に港区役所三田出張所の奥書ある同区の一民生委員の証明書(乙第六号証・同号証には現住所東京都品川区五反田五丁目六十番地世帯主中川音松三女中川富恵が通称富美を使用し、同一人である旨を品川区長ではなく寄留地の港区の一民生委員が証明し、これに港区役所三田出張所の奥書がつけられている。)のような多くの疑念を容れる余地のある一片の文書によつて処理したことを認めることができ、他に右認定を覆えすに足るような何等の証拠もない。以上の事実に徴すれば、被告銀行貸付係は、訴外中川音松の一片の嘘言を軽々に信用し、本件預金を同人の手形割引の裏付担保に差入れしめようとして印章紛失届の提出方を示唆し、被告銀行預金係は、類似氏名の者は勿論同名異人すら多い日常取引社会において預金名義人及び直接預金をした者の同一性を慎重に調査判断すべきであるに拘らず、受寄者としての注意義務を欠き、容易になしうる前記の確認の方法すら講ぜずして漫然訴外中川音松の提出する書面に基き只形式的に処理し、預金現在証明書を発行した上本件預金を訴外中川音松の被告銀行に対する手形債務の弁済に充当したものと認めざるを得ない。然らば被告銀行は自己の過失に基き訴外中川音松を債権者であるとみなしたものであるから、これに対する弁済を目して民法第四百七十八条にいわゆる「債権の準占有者に対する弁済」とは称し得ないし、また被告銀行は訴外中川音松をして本件預金債権を行使する状態を自ら誘導作出したものであるから、特に被告銀行の営業が一般国民の信頼関係から成り立つていることも併せ考えれば、かような事情の下において被告銀行が前記「債権者の準占有者に対する弁済」の法理をこの際援用して真実の預金者に対する責を免ぬかれんとすることは、信義誠実の原則に反し、許容すべからざることは明白である。よつてこの抗弁は採用するに値しない。

然らば被告銀行は原告に対し右預金五十万円並びにこれに対する昭和二十五年三月十一日以降本件訴状が被告銀行に送達された日の翌日から二日目の日であることが訴訟の経過に徴して明白である昭和二十八年七月五日まで百円につき一日六厘の割合による約定利息及び同月六日以降右完済に至るまで前記約定利息と同率の割合による遅延損害金を支払うべき義務があることは明白である。

よつてこれが支払を求める原告の本訴請求はその理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を各適用して主文の如く判決した。

(裁判官 柳川真佐夫 入江一郎 杉井正道)

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